今回は前回の「娘(マナ)がダウン症と分かるまで~①前編~」のつづきをお送りさせて頂きます^^
こども病院へ緊急搬送後・・・
それでは娘のマナがこども病院に緊急搬送されてからのお話をさせて頂きますね。
マナが緊急搬送された後、こども病院へ向かう事はできなかった私は病室に一人居ました。
その病室で1人、「どうか何も異常がありませんように」と願う事しかできず、ただ願っていました。
と、ただただ願い続けていました。
そして、しばらくすると隣町のこども病院まで行った旦那さんから連絡が入りました。
「これから(夜中の1時頃から)出来る限りの検査をしていく」との事でした。
産後疲れで意識朦朧な中、寝ずに旦那さんからの検査結果の連絡を待っていたのを覚えています。
それから4時間ほど経過した朝方5時頃にやっと旦那さんからの電話が鳴りました。
電話を取ると、電話の向こうで旦那さんは泣いていました。
泣きながら旦那さんが言った言葉は今でも忘れられません。
「ダウン症かもしれないって…」
私は頭が真っ白になり泣くことしかできませんでした。ただただ泣きました。
妊娠中に転んだから?
なにがいけなかったの?
なんで私の子が?
ダウン症ってあのダウン症?
うそでしょ?
なんで…なんでなんでなんで…
わたしなんか悪いことした?
どうして…
私は電話口で旦那さんに泣きながら「なぜダウン症かもしれないのか?」と理由を聞きました。
その内容は以下のようなことでした。
■ 顎部などのたるみのある皮膚
■ つりあがった眼
■ 大きめの舌
■ 上記の所見があり、染色体異常が考えられる
このような特徴は、ダウン症候群が疑われるとの事でした。
そこでマナは本当にダウン症なのかを検査するため、染色体検査をする事になりました。
また更に、マナは他にもいくつかの疾患を併発している可能性もあるとの事でした。
なのでこれから、入院をして経過観察をしながら検査していく事になりました。
マナが産まれてからのたった2日間の出来事でしたがとても濃すぎるくらいの2日間でした。

※こちらはダウン症疑いの診断が出た時に病院から頂いた紙です※
染色体検査の結果が出るまで辛かった2週間。
次に染色体検査の結果が出るまでの事をお話していきたいと思います。
頭の整理がつかないまま眠りについた次の日、病室で起きると丁度お昼ご飯の時間でした。
目の前にはお祝い御前が置かれていました。
普通なら幸せいっぱいでお祝い御前を食べるのだと思いますが私は全く食が進みませんでした。
そう思い必死にご飯を食べました。
スマホ片手にひたすらネット検索をする日々。
そしてお昼ご飯を食べた後など空いた時間があれば、私はある事をずっとしていました。
それは「スマホでダウン症についてひたすら検索する事」でした。
・ダウン症 疑い
・ダウン症 特徴
・ダウン症 疑い 間違い
・ダウン症 確率
・ダウン症 ブログ…
ダウン症について無知だった私は憑りつかれたように、スマホでネット検索をしていました。
そしてネットの記事を読みながら
「本当にダウン症なのかもしれない…」と不安になったり
「もしかしたら間違いかもしれない…」と自分に言い聞かせてみたり..。
頭の中で自問自答の繰り返しでした。
暫くはこんな風にスマホで検索をする事が私はやめられなくなってしまいました。
また、染色体検査の結果が出るまで2-3週間かかるとの事で、その期間はとても長く感じました。
管に囲まれた娘を見て変わっていった気持ち。
「本当にダウン症だったら・・・」とスマホで検索ばかりしていていた私でしたが、
マナを出産した次の日の夕方、旦那さんとマナのいるこども病院へ会いに行く事になりました。
まだ私は入院中だったので、病院から特別に外出許可を貰っての事でした。
こども病院に着き、マナのいるNICUへ行くとマナは保育器の中で沢山の管に囲まれていました。
ですが、体に沢山の管を付けながらもマナは必死に生きていました。
小さな体で呼吸も苦しいはずなのに、一生懸命に生きていたのです。
その小さな体で一生懸命生きている娘を見て、私は少しずつ気持ちが変わっていきました。
「もし本当にダウン症でも、ダウン症の娘を受け入れたい」
そんな風に気持ちが変化していき、受け入れるための心の準備をするようになっていきました。
わたしはあの子のたった一人の母親なんだ・・・
そして、それから私たちは毎日車で片道1時間かけてマナに会いに行く事となりました。
とはいえ、受け入れる事は簡単ではない。
しかし、こども病院から自分が入院している市内の産婦人科に戻るとそこには他の母子の姿がありました。
そこには大変そうだけど幸せそうな、健常の子を産んだ他の親子の姿がありました。
そうした様子を見ると「受け入れたい」という気持ちがあっても簡単な事ではありませんでした。
また、「元気に産んであげられなくてごめんね..」と自分を責めてしまう日々も沢山ありました。
恐らく今読んで下さっている方の中にも同じような気持ちの方がいらっしゃると思います。
わたし自身も全く同じで、本当に受け入れるというのは簡単な事ではありませんでした。
「障害があっても自分の子供なら大丈夫!」とか・・そういったきれい事では済まされない。
そう思いました。
けれど、あの保育器の中にいる子は紛れもなく私の娘であり・・・この時期は毎日が葛藤の日々でした。
もし今、受け入れられないというお母さんがいましたら、どうか自分を責めないであげて下さいね。
受け入れられないのは不思議な事でもおかしな事でもないのです。
こればかりは、どうしようもない事なのだと、私は考えています。
少しずつ、向き合ってあげてほしいです。
検査の結果、ダウン症と告知を受ける。
最後にダウン症と告知されるまでの出来事について書かせていただきます。
染色体検査の提出から約2週間後に病院から連絡がありました。
「染色体検査の結果が来ましたので本日病院に来れますか?」
との事でした。
その日、仕事終わりの旦那さんといつも通り、こども病院へ向かいました。
そしてマナのいる病棟へ着き、お医者さんに個室へ案内されました。
そこで軽く談話をした後「本題に入ります」と先生は一枚の紙をテーブルの上に置きました。
そして先生が紙を読み上げて下さったのですが、紙にはこのように書かれていました。
先日提出した染色体のFISHという検査の結果が出ましたので説明させて頂きます。
出生後の診察所見、臨床症状から、ダウン症の可能性を考えていましたが
検査でも21番染色体が通常2本のところが3本見られダウン症の診断となりました。
このように書かれており、マナは紛れもなくダウン症という告知を受けたのでした。


本当にここまで読んでいただきありがとうございます。